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2008年2月28日 (木)

事実は一つだけれども、真実は人の数だけいくらでもある

レビューの話。


私の性格ゆえでしょうか、エロゲーの感想には時折本心ではないことを書いています。
もちろん自分の嗜好や好き嫌いを偽ることはありません。
しかし、主に考察系のレビューにおいて、例え自分でも納得できない形のレビューでも、最後まで書き上げてしまうことが出来れば基本的に公表することにしています。
というのも私にとって納得できなくても、他の誰かにとって面白いと感じられる・納得できるレビューならば公表する意味はあると思っているからです。


私には自分の好き嫌いに「正しい・正しくない」はありますが、考察に関しては「説得力があるかないか」が評価の基準だと考えています。
もちろん、レビューの説得力を認めた上で自分の好みに当てはめて正しい・正しくないを論ずるのは十分ありだと思います。
ですが、好き嫌いはあくまでも自分の中で処理する感情の問題であり、説得力はそれとは関係無しに、レビューの論理展開や整合性を見極める理性の問題です。
だから、自分にとっては好きになれないレビューであっても、説得力を持たせられたと感じたレビューは公表しています。

そもそも、私は考察の正誤を気にしません。
というか気にするだけ無駄と思っています。
ライターがテーマを明確にしてこれだと言い切っているのならともかく、そうでない作品にレビュアーの数だけ考察が生まれるのは当然ですし、何よりそっちの方が面白い。
例え「妄想、乙」なレビューでも説得力さえ持たせれば、それは十分に考察として認められる。
逆に言えば説得力が考察の全てじゃないでしょうか。

そんな諸々の理由で、私は自分ではどこかずれてしまっていると感じている考察でも公表しています。


色々とごちゃごちゃ書きましたが、要するに「説得力と面白さがあれば、どんな形の考察があってもいいじゃん」ということです。
書いた本人がいまいち認められないレビューでも、読んだ人が納得できればそれでいいのですよ。

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