死の哲学
あー、何を書こうとしたんだっけ?
思い出せません。
二つほど書こうとしたことがあったはずなんですが……。
まーこの際せっかくなんで、前から考えていた「死の哲学」について。
いつか書こうかと思っていたのでちょうどいい。
もちろんエロゲ関係も含めて、ね。
こなたよりかなたまで、narcissu、マブラヴ オルタネイティヴのネタバレがありますので、ご注意。
「死の哲学」は死生観と言い換えてもいいです。
「如何にして生きるべきか」
そして
「如何にして死ぬべきか」
エロゲーマーである以上、死の哲学を語る上でこの二つの作品を避けて通るわけにはいきません。
どちらも主人公がいずれ死ぬ、それが前提となっている作品です。
この二つに対して持った私の感想がこれとこれ。
なぜ私がこんな感想を抱くに至ったかを書いておきます。
こなたよりかなたまでのきっかけは、大学の心理学の授業でした。
発達心理学の説明だったのですが、その中で人間の一生は
「胎生期・乳児期・幼児期・児童期・青年期・成人期・老年期」
に分けられると教わりました。
で、老年期にさしかかると「死の受容」という課題に取り組まなければいけなくなってくるそうです。
配偶者の死、そして老いによって迫る自分の死。
こうして死を身近に実感して、死を受け入れていく過程を踏むのです。
では、その「死の受容」を受け入れる時間が無い者はどうなるのか?
私はまだ二十歳そこらです。
明確な死の哲学は持っていません。
「死」を意識したことすらない。
そんな人間が「死」を目の前にしたときにどうなるのか?
そんな折にふと思い出したのが、こなたよりかなたまで。
主人公は若くして死に臨む。
そんな彼の行動をどう受け止めればいいのか考えて書き上げたのが、こなかなの感想です。
次にnarcissu。
これはマブラヴ オルタネイティヴを終わらせた直後にプレイしました。
オルタの感想がこれなんですが、「以下、ちょっとした私の感想」はnarcissuを意識して書いてます。
「人の命よりも重いものは無い」
こんな言葉がありますが、「そんなもん、クソ食らえ」というのが正直な感想です。
人間には「死んでも譲れないもの」があると思うし、あるべきだと思います。
narcissuのヒロイン(私の中では彼女が主人公)は自分の思い通りに生きることが許されていない身。
だからこそ、「自殺」は自分の生き方を貫く最後の手段、また自分にできる残された「自由」だったと思います。
自分の生き方・信念を貫くためなら死すら厭わない。
それができない腑抜けた生き方は私はしたくない。
そんなことを考えながら書いていました。
身近な死に触れる機会がなく、はっきりとした死の哲学を持っていない自分がこんなことを考えるのは、おこがましい事かもしれない。
しかし、おそらくこんなことが自由に考えられるのは、学生の身分であるうち。
生きるのも死ぬのも、たった一回きり。
とりあえず、やりたいことは今のうちにやっておきます。
それが今出来る精一杯だと思います。
へなへなのエロゲ考更新しました。
……内容はかなりアレのような気がします。
今日のこの日記も明日載せる予定です。
あ、今日書く本来のネタ思い出した。
そういや今日は七夕だ。
星に願いを。
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