無性にKeyについて思いをぶちまけたくなりました。
前々からいろいろと違和感を感じていたのですが、ようやく言葉にできるほどにまとまりました。
そんなわけで、ここからは多分にKey作品のネタバレを含んでいます。
そのつもりでお願いします。
記憶があやふやなまま書いているところもありますんで、そこらへんはご容赦を。
あ、キャラクターが電波だのギャグが寒いだのといったツッコミは無しで。
私も分かった上で書いていますから(笑)
あくまでも、シナリオの流れ・どこまで深く書いているかを目安にして書いています。
さて、まず私とKeyの出会いを書くとしましょう。
私が初めてKey作品をプレイしたのは、高二でした。
D.C版のKanon。
当時、先輩にこれを借りた時「これは、すごい」と思いました。
次にプレイしたのがD.C版のAIR。
生まれて初めて、感動してボロボロと涙を流しました。
ここからKey信者としての一歩を踏み出したと思います。
CLANNADをプレイしたのが、浪人時代。
いやー、泣きました。
ED曲を聴いただけで、涙があふれてきましたからね、相当なハマりっぷりだったと思います。
ビジュアルファンブックも買いましたよ、グッズに手を出さない私が。
ここら辺からKeyのサントラを買うようになりました。
で、問題作、智代アフター。
初めてKeyに疑問を覚えました。
詳しくは、私の批評空間の感想を読んでください。
レスが炎上していますが、私はそんなに書き込んでいないので、そっちは読んでもらわなくてもけっこうです。
(てゆーか、あのときは本当に驚きました。対処の仕方が全く分かんなかった。)
これが、私のプレイ直後の感想です。
ここからKey作品について考え出しました。
私が泣いた作品は本当にすばらしいものなのだろうか?と。
Kanon。
作品のテーマはたぶん「奇跡」
おとぎ話だのエロゲじゃないといった批判もありますが、私はそこらへんは気にしません。
問題なのは「奇跡」
この「奇跡」は月宮あゆという少女の犠牲によって起こされる。
主人公と他のヒロインとの恋愛成就は、彼女が犠牲にならなければ成り立たない。
そんな残酷なことを最後まで引きずることなく、おとぎ話と言われる作品に仕上げたことに素直に賛辞を送ります。
ただ、「奇跡」が使える理由がいま一つ薄弱だったと思います。
人形に託された想いが奇跡を引き起こす…といった内容だったでしょうか?
その想いが奇跡を引き起こすまでに大きかったか?と思い起こしてみると、描写が足りないのではないかと私は考えます。
また、奇跡によって登場人物たちはあっけなく助かる。
AIR。
テーマはたぶん「家族」
現段階で、Keyの最高傑作だと思います。
こちらも「奇跡」や「超常現象」が使われていますが、使える理由は「方術が使えるから」・「翼人だから」という理由。
ファンタジー要素を取り込むことによって、違和感が出ないように仕上げています。
主人公が時間を遡るといったありえんことをしていますが、こう考えればいいと思います。
「主人公の持つ人形には、先祖たちの想いがこめられており、主人公の強い願いに反応した」
千年分のご先祖の力が込められているんだから、時間くらい遡ってもいいでしょう。
ゲームの方では確か描写されていなかったと思いますが、アニメの方では主人公の母親が人形に力を託す場面がありますし、人形が主人公の願いに反応しているような描写もありますから、先祖云々はあながち間違いではないかと。
ただ、EDはかなり分かりにくかった。
描写不足。
CLANNAD
テーマはたぶん「人とのつながり」
で、感想がこれ。
プレイして1年以上経ってから書きました。
感想に書いている通り、なぜ「奇跡(光)」を入れる必要があるのか全く分からない。
そして、もう一つの不満が「幻想世界」
そもそも現実世界との関連がこれっぽっちも示されていない。
いや、少し違いますね。
現実の出来事が幻想世界に影響しているのは確かです。
しかし、「幻想世界がいったい現実世界の何であるか」を描写していない。
「何のために存在しているか」を描いていない。
「どういう世界か」を表わしていない。
はっきり言いましょう。
これは夢オチか妄想の類ですか?
「光」と「幻想世界」なしで「人とのつながりにより主人公たちは救われる」ストーリーを考えることはできなかったのか?
智代アフター
テーマはたぶん「人生の宝物(永遠の愛)」
Keyが初めて「奇跡」無しで世に送り出した作品。
で、私の評価はご覧の通り。
KanonやAIRはシナリオを読んでいるプレイヤー(必ずしも主人公=プレイヤーではない)が作品におけるテーマを読み取る方式だと思います。
例えれば「プレイヤー=演劇を見ている観衆」といったところでしょうか?
あくまでも物語の紡ぎ手として主人公が存在しているのであって、プレイヤーはただの傍観者です。
対してCLANNADはプレイヤーが主人公となり、登場人物との交流を重ねることによって物語を展開していく。
そして智代アフター。
CLANNADと同じく、ゲームにおける主人公=プレイヤーといった等式はこの作品にも当てはまります。
作品の最初から最後まで、視点が主人公以外の他の登場人物に移ることはない。
主人公が示す想いは同じ視点であるプレイヤーにとっては容易に想像しやすい。
逐一、文章中に出てきますから。
しかし、他の登場人物はそうもいきません。
どうあっても完全に同じ視点になることは不可能です。
だからこそ、プレイヤーがなりきることのできない智代に「人生の宝物」だの「永遠の愛」だのを悟らせることに疑問があります。
プレイヤーが登場人物を「知る」ことができるのは、イベントなり会話なりで彼らの行動・会話でその想いをうかがうことができるから。
主人公は一度記憶を失い、智代との交流を失います。
この時点で智代の想いを理解することがはるかに難しくなるのです。
「智代が過ごした3年」をプレイヤーが知ることは絶対にできない。
だから積み上げてきた想いを想像することはできても、理解できるなんて言えるわけが無い。
それをすることは思考放棄であり、智代に対する哀れみでしかない。
今まで、作品を一つ一つ取り上げて、問題点をあげてきました。
それによって考えられるKeyの欠点。
Keyには物語を深く掘り下げて展開することが不可能である。
そして、奇跡無しでは物語をまともに語りあげることも不可能である。
Kanonでは「奇跡」の描写不足。
AIRもKanonほどではないが、「奇跡」の描写不足。
また、EDの致命的なまとめあげ方。
CLANNADでは、奇跡に頼り切った体質の露呈。
そして、智代アフターでのヒロインの心理、すなわち作品の根本であるテーマの決定的な描写不足。
奇跡を盛り込めば、テーマ性を薄くしジャンルをおとぎ話とすることができる。
逆に、奇跡の出てこないストーリーにすれば、自然とテーマの描き方・展開が重要になってくる。
しかし、Keyには明らかに「重い」話を書くことができていない。
おそらく、これからKeyにできることは、奇跡込みの無難なおとぎ話を作り続けることだけではないのだろうか?
ライターを変えることをしない限り、これらの欠点を補うことはできないと思われる。
このサイトでは真面目にエロゲについて語ることは無い、と開設当初から決めていたのですが、とうとうやってしまいました。
ここまで書くと、エロゲー批評空間で書かなかった・書き切れなかったエロゲ個別の感想を吐き出してみたくなりました。
感想用のブログを新しく開設して、そっちにこんな文章を書いてみるべきかと悩んでいます。
にしても、今日の日記は時間がかかったなぁ。
もう、22時近く。
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